先週、
「シノ・ポルトギース」改め「シノヨーロピアン」にする!
と書きましたが、それにまつわる話を、タイフア博物館の職員さんに
いくつか聞きましたので、覚書としてこちらに書いておきます。
プーケットに、ポルトガル人が上陸したという歴史はあります。
1511年にポルトガルからプーケットに錫貿易のことで、ポルトガル人が
下見にやって来ました。
その時、鉱山の一つであったタラン地区(空港より少し南下した場所)の
見学していきました。
プーケットタウンや、オールドタウンには来ていません。
ペナン島と同じスタイルの建物がオールドタウンにでき始めたのは、
19世紀後半から20世紀全般にかけてのようです。
ポルトガル人が来てから300年もあとに建設されているので、
ポルトガルから伝えられた様式ということではないですね。
シノヨーロピアン建築は、最初は木造でつくられたようです。
その後は鉄、セメントと変わっていったのだそうです。
家により装飾が異なりますが、装飾の豪華さと位の高さが比例して
いたようです。
うなぎの寝床式の住居ですが、本当に間口が狭いです!
結構豪華な建物なのに、なんであんなに細いんだ??
最初はセキュリティーのためと理解していたのですが、実は税金と
関係があったようです。家の幅が8フィート以内だと安くなったので
あのような形になったということです。
(ただ、これはマラッカの話で、プーケットの税金ではないようです)
シノ・ヨーロピアン建築の、ヨーロピアンの部分は欧州各国の
様々な建築のミックスということはわかりましたが、どの辺が中国?
中国様式については、家の飾りなどに反映されているようで、
中国で縁起の良いとされる龍、鳥、花などのモチーフを家具や窓枠
などに入れこんであります。